時間は無駄にはしたくないが、時間に縛られてはいけない

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ぼーさんです。

時は金なり、Time is Moneyの格言があるように、時間というものは有限であり非常に貴重な資源です。

時間は全ての人に等しく与えられますが、有効的に活用できるかはその人次第。漫然と過ごしていても、趣味に充てても、ビジネスに充てても一律に消費される点が特徴的な資源であります。

 

長期投資を前提としたインデックス投資においては時間の長さというのは非常に大きな武器となりますし、20代・30代として活動的に行動できる10〜15年は幅広い経験を積むのに重要な期間です。

 

世間が盲目的に過ごしている時間、例えばテレビをみてゴロゴロする代わりに、ネットを使ってお金を稼ぐシステムを構築するなど、これも立派な時間という資源の有効活用ですね。

 

昨今では、日本人の時間当たりの生産性の低さに警鐘が鳴らされ、働き方改革の大号令の下、残業時間削減に向けた全社取り組みがなされています。

バリバリの日系企業であるぼーさんの勤務先でも残業圧縮に向け、勤務時間・残業時間のチェックが厳しくなり、限られた時間で成果を上げる仕事の仕方が求められています。具体的な取り組みはなく、号令だけがかかっている状態ですが、以前までは21-22時までの勤務が当たり前だった勤務先が少なくとも表面上は残業圧縮に向けて取り組んでいることはよいことだとは思っています。

 

また、毎日の通勤時間を減らすべく、勤務地の近くに住居を構える人も増えており、まさに”時間をお金で買う”という価値観がもはやマイノリティではなくなってきていますね。

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上記のように、時間というものは貴重な資源なので、それを無駄にせずに有効活用するという思考がある一方で、時間を意識をするあまり、逆に時間に縛られ人生が窮屈になってしまう恐れがあることを忘れてはいけません。

  

常に追われている”余裕のない人”

日本、特に東京においては時間がとても意識されやすい環境が構築されています。電車は2〜3分置きにほぼ遅延なく到着し、毎回多くの人々が押し寄せ、波に呑まれる。

1本でも早い時刻の電車に乗ろうと駆け込む人がいれば、それに呼応するかのように同じ人が2人・3人と増え、電車から降りれば我先に改札へと駆け込む。

彼らは今、本当に急がなければならないほど差し迫った状況なのでしょうか。答えはNoです。電車を1本逃したところで、次に来るのは長くても5分後です。目的地に5分遅れても困ることはなく、あるのは電車を逃したことによる”なんとなく損をした気分”です。

では、失った5分によってその人の人生が大きく左右されるかというと、そんなことはありませんし、その人が1日24時間を完璧に有効活用できているかというと、決してそうは言えません。

どんな人にも空いた時間、スキマ時間というものは存在します。全ての時間にエネルギーを注いでしまうと、私たちの方が消費してしまうからです。どこかで休息の時間を取らなければどこかで歪みが必ず生まれます。

ただし、自分のミッションを嬉々として、趣味のように没頭して取り組める人は別です。趣味はのめり込めばのめり込むほどその深さは計り知れないものになりますし、自分自身の強み・場合によっては自分の資産とすることができます。

 

”時間の流れ方”の違い

旅行で南の島や田舎町に行くと、「時間の流れがゆっくりと感じる」ということはないでしょうか。流れている1秒1秒は同じはずなのに、周りに急ぐ人はいなく、あるのはゆったりとした雰囲気。風の流れや自然の音を五感で感じ取ることができます。

自分の人生を目一杯謳歌するには都会は少々窮屈さを感じてしまいます。ぼーさんは田舎出身なので、なおさら感じるかもしれません。

 

目指すべきは”時間からの解放”

自身の将来像をイメージした時、頭に浮かぶのは”時間からの解放”。朝、日が昇れば起き、お腹が空いたらご飯を食べ、眠くなったら寝たい時に寝る。自分の生理的欲求に素直になることとも言えるかもしれません。

私たちが生活する社会では、多かれ少なかれ生理的欲求に抗った行動を取らざるを得ません。眠たくても出社しなければなりませんし、仕事の時間によってご飯をとる時間も一定の制限がかかります。

できるだけ会社に依存しないためには、会社から自立するということです。そのためには最大化された十分な資金を構築しなければなりません。

副業、複業を含めた多様な働き方が世間に認知され始めてきましたが、自分の周りを見渡しても依然としてマイノリティであると感じます。周囲と同じような将来に自分も甘んじるのか、一歩抜け出すべく、自由な生活を獲得すべく1秒でも早く行動するか、阿蘇の行動を継続・習慣化できるか、このことに尽きると思っています。

 

その先に見えるのはセミリタイアであり、セミリタイアそのものが目的となるわけではなく、あくまで自分の目指すライフスタイルを叶える手段としてセミリタイアがあるということです。