サラリーマンの異常さに危機感を覚えた

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 私を含め、日本の多くの成人はサラリーマンとして会社に属し、自分・あるいは家族のために毎日毎日決まった時間に通勤し、決められた時間は最低限働き、疲れを貯めて帰宅の路につきます。

 

毎日毎日というのがネックですね。自分の希望や意志は介入のしようがないです。地方であればマイカーで通勤するかたも多いでしょうが、首都圏をはじめとした大都市では電車での通勤がメインになってきます。

 

通勤にて・電車に乗る

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 私の乗る電車の路線は毎日混み合いますが、私が乗る駅ではガラガラ。会社の最寄駅で降りるまでの間にどっと人が乗ってくる駅があるのですが、ドアが開いた瞬間に一目散に空いている座席を目指してダッシュをする方をよく見かけます。さながら餌に群がる虫のよう。そして、それをするのは1人だけではなく、複数人のイス取りゲームとなり、席争いに負けた方は何事もなかったかのようにつり革を掴み、スマホを操作。

 なんだか悲しい気持ちになりました。大の大人がそこまで余裕がないのかと。これも決まった時間の出社を強いられているがために起こる事象なのかと思うと、やはりサラリーマンは異常じゃないかと思えてきます。実際は同じ働き方をしていても全員がそう行動するわけではないので、一部の方が目についてしまっているのは確かなのですが、なんとまあ余裕のないこと。

 東京で学生生活を過ごさなくて本当によかった。そして将来生まれてくるであろう我が子にはこんな思いは絶対にさせたくない。通学が満員電車なんて田舎育ちの私からは考えられないです。というか都会で生まれ育った人にとってはこれが当たり前なのか・・・ 

 

電車を降りてから

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 ドアが開いた瞬間、血相を変えて最寄りのエレベーターにダッシュ。第一陣に漏れた人は意気消沈気味に渋々階段へと歩を進める・・・なんだこれ。

 さながら餌に群がる虫を見ているかのよう。会社に飼い慣らされて運動する機会は減り、体脂肪と中性脂肪がどんどんと増え続けたお腹の出たおっさんたちがエレベーター向かっていくわけですよ。もう異常。

 

会社でフレックス勤務を導入していても

 私が現在勤めている会社は一応フレックス勤務を導入しています。一応というのは、制度上はコアタイムを勤務していれば、出勤・退勤時間はある程度幅があるというフレックス勤務のルールになっていますが、それを活用している人はほぼ皆無です。9時に出社し、20時まで働くことを前提に打ち合わせやスケジュールが組まれていくので、それに無理やり抗おうとする人がいないです。というか、ここでパーキンソンの法則が働いているのか、9-20時の勤務時間で仕事が回るように働いている方がまー多いこと多いこと。

 うちの会社はどの人に聞いても皆「忙しい、忙しい」と言っています。聞かずとも自分の忙しさについて細かにつらつらと説明してくれる親切な方もいます。

 ですが、「忙しい」ということにある種の喜び・優越感に浸っているようにしか見えません。「忙しい」=「仕事量が多い」=「優秀」みたいな構図が頭に浮かんでいそうです。それを聞いても何も羨ましくないですが、まあ本人がそれで満足そうであったり、人よりも残業時間が多いことに対して自らを納得させられることのできるのであればいいか、といつも聞き流しています。

 私は逆に仕事の状況を聞かれた時、絶対に「忙しい」と言わないようにしています。たとえ本当は忙しくても。「忙しい」というと、嬉しそうに「忙しい」と言っている人たちと同じグループに属してしまったような感覚に陥ってしまうからです。

 そして話していて面白いのは、「忙しい?」と聞かれて「暇だよ」と答えると、「いいなぁ~」と言ってくること。じゃあさっさと仕事終わらせたらいいのに。

 

 うちの会社は伝統的な日本企業なので、成果主義的な要素が少ないです。

 所属によっても文化は違いますが、他の所属よりも比較的ゆるいとされている今の部署ですらこの見えない同調圧力が働いています。実際は10時出社しようと、残業せずに帰ろうとも、やるべき仕事が終わっていたら何も言われません。やるべきことをやっていたらいくら休もうとも文句を言われる筋合いはありませんが、やるべきことをやっている人がそれでも休めないのは同調圧力を勝手に感じてしまっているという面もあるように思います。