”やりがい”というまやかし
ぼーさんです。
サラリーマンとして仕事をする上で”やりがいを持つ”というのは1つポイントになります。
やりがいなんて、所詮労働の一要素でしかない
「自分がいないと組織が機能しなくなる」
「自分は組織、あるいは会社に必要とされている」
ことを誇りを持ち、責任感を持って仕事をするのは一個人の在り方としてとても素晴らしいことだと思います。
一方で、そういった”やりがい”は仕事の中での一つの要素でしかないことは確かに認識しておくべきことです。どんなに精神衛生上前向きに取り組んでいようとも、サラリーマンである以上は、会社の歯車の一部として労働力を提供しているに過ぎないという一面は厳然としてあるということです。
そして、何かに固執するということはやはり視野を狭くしてしまいます。
また、歯車として扱う側の会社・資本家は、優れた人材に良い気持ちで働いてもらうためのインセンティブを提供します。それは昇格という社会的地位の上昇であったり、表彰したりします。
いずれも生活をして行くために必要不可欠な要素ではなく、社会的欲求を満たすものです。
やがて”表彰されるために1年間頑張ることができた”という人も生まれてきますが、こうなれば会社の作戦通りで、労働者は会社への忠誠心(ロイヤリティ)が益々上がり、愛社精神を育まれます。
会社としては労働者をキープできる一方、労働者は気持ちよく、モチベーション高く益々働くようになるという構図です。
人によっては、”やりがい”が働く原動となり、自ら進んで仕事を増やし、残業も厭わないという方もいます。
ホワイトカラーであれブルーカラーであれ、”やりがい”を餌に目の前にぶら下げられることで、もしくは実態のないものを”やりがい”を労働者自らが作り出して「仕事ができる自分」に酔いしれますが、一方では資本家の手のひらの上で都合よく転がされている、という要素が厳然としてあるということです。
と書いていたらまさにぴったりなイラストがありましたw
前向きに取り組むのは素晴らしいことだが、行きすぎてはいけない
繰り返しになりますが、「どうせやるなら前向きに取り組む」という信念を持つことは大変に素晴らしいことだと思います。
逆もまた然りで、「自分は所詮労働力を提供しているだけ」という考えに固執するのも、結果として常に受け身姿勢のしょうもない人間になってしまいます。
就活生も求める「やりがい」
今の会社に勤めて、採用活動や会社説明会に携わることもあります。
就活生と社員との座談会というコーナーが設けられ、「実際に働く社員の生の声を聞いてイメージアップを図ろう!」なんて趣旨で開催されます。
そこでは、「仕事をする上でのやりがいはなんですか?」と聞いてこられる就活生はとても多いです。
社員は「数十億円のプロジェクトを担当している」ことや、「新商品を開発し、社会の役に立っている」などなど・・・就活生にとって魅力的な自慢話で食いつかせ、それを聞いた就活生は真面目にメモをとります。
かくいうぼーさんも就活していた時は同様でした。どうせ働くなら活き活きと前向きに仕事がしたかったので、モチベーションもありましたし、就職活動中は企業の方からも「期待しているよ」と煽られます。
現実は、企業の規模が大きくなればなるほど一人当たりの裁量は小さくなりますし、逆に企業の規模が小さければ社会に与える影響も同様に小さくなります。
ぼーさんは典型的な国内大手金融機関に就職しました。組織の規模・関係者がとにかく多く、若手のうちは会議やスケジュール調整が大半を占めます。自分の言いたいことも言えず、新しい提案をすればたちまちに論破・否定され、「経営的な目線で物事を考えろ」という反面、実現性を細かく細かく問われ、たちまちに意見はお蔵入りです。
大企業であれば「あるある」な現実にぶち当たり、「自分のやりたいことはこんなことじゃない」とか、「若いうちにスキルアップをしたい」と行って早々に会社を辞めていく人も少なくないです。
そして”やりがい”を求めて転職した人は、「忙しい上に給料が下がった」と不満を漏らします。やりたいことができていても給料が下がって後悔するぐらいならつまらなくても良いので給料が高い方が良い。
仕事を通して自己実現や社会貢献を求めることは大変に素晴らしいことだと思いますが、それが全てではないです。
ぼーさんにとって仕事の価値は「労働力・時間の提供に足る給与」が第一を占め、”やりがい”は二の次、優先順位は高いとは言えません。なので、自分の進めたいように進められないとしても、「給与があるから」と割り切って甘んじることができます。
自分らしく生きたいのなら
では自分が生きたいように生きるにはどうしたらよいかというと、会社から経済的に自立するということです。
毎日職場に通い、労働力を提供し続け搾取されなければならないのは、そうすることでしか家族を養うことができず、自分の生活を成り立たせらないからです。
経済的自立は自分の人生の選択肢を圧倒的に広げることが可能になります。仕事を娯楽としてもよいし、働きたいときに働いてよいし、辞めたってよいわけです。
そのために今できることは、収入よりも少ない生活で生活し、捻出した資金で株や投資信託を買い付け、お金に働いてもらい、投資した会社に働いてもらうことを継続して行うことなのです。